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| 1929・グラーフ・ツェッペリン号の世界一周 |
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| ■航空史に残る偉大な旅。 |
1929年、アメリカの新聞王、ランドルフ・ハーストの全面的なバックアップによって、グラーフ・ツェッペリン(LZ127)号の世界一周が実現しました。ちなみに「グラーフ」とは伯爵のことで、創始者の「ツェッペリン伯」が命名の由来です。しかし旅の基点は、飛行船の生まれ故郷フリードリヒスハーフェンではなく、ハースト氏たっての願いでニュージャージー州のレイクハーストになりました。ドイツから一度ニューヨークに飛び、そこから旅がスタート。飛行船の開発者、エッケナー博士をはじめ、各国のジャーナリスト(ドイツからは日本の新聞記者2名も同乗)や代表者が乗り込み、同年8月7日の真夜中近くレイクハーストを離陸し、航空史に残る偉大な旅が始まりました。
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| ■フリードリヒスハーフェン〜東京を4日間で。 |
ニューヨークから、一度フリードリヒスハーフェンに戻ったツェッペリン伯号は、乗客のための食料や飲料をたっぷり詰め込みました。
「空飛ぶ豪華客船」と言われたツェッペリン号は、食事も高級レストラン並みでしたし、次に着陸・寄港できるのは東京、およそ4日後です。ちなみにお酒は、ワイン60本、リキュール10本、ソーダが150リットル、氷が600キロも積み込まれました。
そして、8月15日未明、ツェッペリン伯号は一路東京を目指しフリードリヒスハーフェンを離陸したのです。
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| ■大自然のパノラマを満喫。 |
船内の様子はどうだったのでしょうか?
巡航時の高度は地上では200メートル、海上では600メートルでしたから、乗客は次々と変わっていく街並みや大自然のパノラマを存分に満喫できました。客室やラウンジも広いスペースが取られていて、まさに快適。ただ1つ不便なことといえば、当時は水素ガスを使用していたため、火災を心配して巡航時には一切禁煙でした。愛煙家には厳しく口寂しい空の旅になったようです。
16日にはユーラシア大陸に横たわる大山脈、ウラル山脈を越し、ついにアジアの空を初飛行することになりました。長く眼下に続く大河と凍土地帯。このような場所に不時着でもしたら・・・との気掛かりがありましたが、全くその不安も感じさせず、ツェッペリン伯号は順調に広大なシベリアの大地を越え、予定通り4日後の8月19日の夕方、ついに東京と横浜の上空に飛来したのでした。
99時間40分の連続飛行で、1万1千キロを翔破したのです。
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| ■当時の東京の様子は? |
昭和4年当時の帝都東京は、関東大震災より6年が経ち、復興と近代化への道を歩き始めており、まさに昭和初期のモダニズム華やかなりし時代でした。昭和2年の金融恐慌が街に多くの失業者をあふれさせ「エロ・グロ・ナンセンス」なカストリ雑誌が流行する一方、浅草にはレビュー劇場が誕生、パリ風のカフェが銀座などにでき、モボ・モガやインテリ青年たちが、蓄音機からジャズを聞きながら美しいウェイトレスの運ぶコーヒーを味わっていました。
その年の夏の暑い日、こうした日本流モダニズムを上空からツェッペリン伯号は眺めつつ霞ヶ浦に到着したのです。
当時の最先端の技術を駆使したモダンそのもののこの優雅な乗り物を、人々は熱狂的に迎え入れました。
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| ■霞ヶ浦に5日間滞在したツェッペリン伯号。 |
ツェッペリン伯号は霞ヶ浦に着陸した後、第一次世界大戦の賠償としてドイツから移設された飛行船用大格納庫に納められ、乗員・乗客は、およそ5日間、短いながらも熱烈な歓迎を受けて日本の滞在を楽しんだそうです。
インターネットも、マスコミュニケーションも発達していなかった当時、彼らの目には近代化が進む西洋風な街並みの中に息づく、昔ながらの伝統を持った日本はどのように映っていたのでしょうか?
面白いエピソードとして、エッケナー博士は、土浦の料亭「霞月楼」に招かれた際、日本式に靴を脱ぐように言われましたが、ドイツの風習ではないとして、どうしても靴を脱ごうとしなかったそうです。後にわかったところによれば、それは口実で、実は博士の右の靴下には大きな穴が開いていたからだったとか・・・。
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| ■君はツェッペリンを見たか? |
はたして、当時の人々の目に、全長236.6メートルの巨船はどのように映ったのでしょうか?
「君はツェッペリンを見たか?」が人々の合言葉となり、新聞の報道も加熱、一大センセーションを巻き起こしました。混沌とし、これから近代化への道を歩き始めようとしていた昭和初期の日本に飛来した巨大飛行船が、人々の心を掴んで離さなかったのは事実だったようです。
当時の日本の状況は、ドイツでツェッペリン伯爵が飛行船を初めて飛ばした時代背景にとてもよく似ていました。ドイツでもツェッペリンブームが起こったように、ツェッペリン伯号の飛来以降、日本では空前のツェッペリンブームが起こりました。当時から定番のおやつ「鯛焼き」でさえ「ツェッペリン焼き」になったりしたのでした。
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| ■21日間で世界一周を達成。 |
23日午後2時、ツェッペリン伯号は日本から飛び立ち、ロスアンゼルスへ向かいました。
その旅は低気圧と強風との戦いでした。飛行船は低気圧の間を抜けるように最短距離の東北のコースをとり、千島列島、アリューシャンに沿い、アラスカ上空を経由してからバンクーバー、そして海岸沿いにロサンゼルスを目指しました。
25日にサンフランシスコ上空に到達。太平洋を無事に横断したということで祝杯をあげ、同日、霞ヶ浦より79時間(3日と7時間)でロスアンゼルスのマインスフィールド基地に着陸、係留されました。
その後飛行船はニューヨークへ向かい、ついに1929年8月29日、午前7時、ツェッペリン伯号は世界一周の偉業を達成したのです。
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総飛行時間288時間11分、飛行距離3万2790キロメートル、総期間21日間と7時間33分で世界一周をしたわけですが、現在クルーズ客船での世界一周がおよそ3ヶ月間で行われていることを考えれば、およそ3週間でできる飛行船世界一周の旅は、現代でも大変魅力的であるといえるでしょう。
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