日本飛行船/Nippon Airship Corporation

あなたの街に舞い降りる夢の船。(株)日本飛行船は、ツェッペリンNTの運用を通じて、夢とゆとりのある社会の創造を目指します。
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株式会社日本飛行船:代表者メッセージ
「大型硬式飛行船とリストレーションの技術」
―資源大量浪費型工業文明から自然環境調和型技術文明への転換―


大型硬式飛行船の栄光と終焉

 昭和4年(1929年)に21日7時間33分で世界一周した全長236.6mのグラーフ・ツェッペリン号は、3万2790キロメートルを総飛行時間288時間11分で翔破し、世界中で歓呼をもって迎えられた。乗客20名乗員40〜45名を乗せ、その名のとおり空飛ぶ客船の発想で作られたので、客室は全て個室、食堂・展望室はもちろんのこと、シャワーやトイレも完備され、まさに豪華客船そのものだった。その世界一周中、ゆったりとした船内から美しいオーロラやシベリアの大自然、そして眼下に広がるニューヨークの摩天楼を楽しむことができた。(ちなみに、エンパイア・ステートビルの頂上は飛行船の係留マストとしての使い道を考えて建造されたものだった。)巡航時の高度は地上では200メートル、海上では600メートルだったので、乗客は次々と変わっていく街並みや大自然のパノラマを存分に満喫できた。ツェッペリン伯号は平均速力75ノット(約140キロ/時)で1万1千キロの航続距離があり、太平洋は79時間(3日と7時間)で横断した。現代でもクルーズ客船で約10日間かかる航程である。

 その成功に基づき、1936年にヒンデンブルク号が建造された。ツェッペリン伯号よりさらに大型で、客室区画は2層に分けられ、客室、食堂のほか、読書室や喫煙室までもうけられていた。ラウンジにはグランドピアノが置かれ、船内サービスもツェッペリン伯号より向上していた。大惨事を引き起こしたことばかりが言われるが、1年余りの就航期間の間に達成した飛行回数は56回、北大西洋横断と南米リオデジャネイロへの定期航路を合わせると、延べ飛行距離は34万キロメートルに達していた。この大型硬式飛行船は平均速力約140キロ/時で1万8千キロの航続距離を誇り、無着陸滞空性能は5〜6日間もあった。

 57回目の飛行で残念ながら炎上してしまったが、近年NASAの研究者により、当時のアルミ塗料の成分が酸化鉄と粉末アルミニウムを混ぜたもので非常に燃えやすかったことが根本原因とわかった。折からの雷雨の中を飛行してきたので船体に静電気が帯電しており、おそらく濡れた係留索を着陸作業用におろして接地した際アースの要領で電流が流れ、その僅かなスパークが塗料を発火させ、それが内部の水素ガスに燃え移ったと推測されている。

 現在の飛行船は安全な塗料と不燃性のヘリウムガスを使用しているので、爆発炎上はありえない。もちろん1937年の事故当時は大惨事であったが、乗員・乗客97名中62名が生存しており、現代の航空機事故と比較するとむしろ64%という高い生存率は驚きでもある。これは飛行船の場合、地上激突型の墜落ではないためであり、死亡原因もほとんどがやけどによるものだった。現代では燃料電池車に見られるように水素ガスも取り扱いを誤らなければ安全に使えるようになっている。1930年代当時はまだ合成繊維が発明されておらず、水素ガスの袋(気嚢・きのう)は牛の盲腸の皮(ゴールド・ビーダーズ・スキン)を使用していたし、エンベロープという外皮膜は木綿の帆布にアルミ塗料を塗ったものだった。

 ちなみにツェッペリン社首脳のエッケナー博士は実は反ナチスだったこともあり、残ったグラーフ・ツェッペリン号(I世と新造II世)は1940年5月ゲーリング空軍大臣の命令で船体は解体、フランクフルト・アム・マインの大格納庫は爆破処分され、回収されたジュラルミンは爆撃機の材料となったといわれている。同社は戦後の連合軍による航空再開禁止政策もあり結局飛行船の建造再開をあきらめてしまった。しかし飛行船建造技術で培った金属加工技術やトランスミッションなどの精密機械技術により、今日世界に冠たる一大ツェッペリン・コンツェルンを形成している。

 一方アメリカ海軍は、これに先立ちアクロン号やメイコン号など複葉機5機を搭載できる空飛ぶ航空母艦ともいうべき大型硬式飛行船隊を整備したが、1920〜30年代の素材・エンジン・技術では、こうした巨大な船体を運用する十分な強度と推進力を得られず、機敏な運動性や操縦性に欠けるところがあった。また当時の航空気象情報も局限されており、天測に頼る運用技術上の制約も無視できない。加えて飛行船隊一筋の故ローゼンタール提督から戦後伝えられた話では、当時の米司令部が海軍飛行船隊の意見具申を容れず荒天時演習に戦術的運用の観点で無理に突入させたことも災いして結局失われてしまった。

 しかしこうした苦難を乗り越え、アメリカは結局1962年まで海軍飛行船隊を保持し、グッドイヤー社製の軟式飛行船に主軸を切り替え、対潜船団護衛や早期警戒哨戒飛行を行い多大な効果と実績を挙げた。米海軍飛行船隊全体としてハリケーンの襲来する海空域での野外係留による運用も含め、常時87%の出動率という好成績を残している。そして同隊解散後は主に欧米で宣伝広告やテレビ中継に用いられて生き延びてきた。その後英米独で新飛行船会社もでき新型飛行船も開発されたが、いずれも基本的には従来型軟式飛行船であった。

 飛行船は構造上数種類に分けられ、軟式(骨組み構造を持たない) 、半硬式(下半分のみ骨組みを持つ)または準硬式(全体に骨組みを持つが、ガス気嚢が外皮膜と分離していない)、 硬式(全体に骨組みを持ち、船体内部に独立したガス気嚢と乗員・乗客区画などを持つ)がある。これ以外にいわゆる蟹の甲羅のような、新素材による甲殻構造を持つソフト・シェル・タイプの飛行船も考究されている。米海軍は戦前実際に全長44.5mの全金属製飛行船(ZMC型)を造ったが、当時はジュラルミンの薄板を300万本のリベットで接合するなどの苦労があり、主力飛行船型には採用されなかった。しかし現在の素材や接合技術を用いれば、こうした構造もまた十分再検討に値すると考えられる。

 飛行船技術の根幹が浮揚ガスの容積と自重の差である浮力の活用にある以上、小型飛行船は軟式、中型は半硬式または準硬式、そして大型は硬式が有利となる。本来飛行船は大型化すればするほど、自重の増加を容積の増加が上回るため、浮力の増加率が大きくなる。北極熊の身体が大きいのと同じ原理で、表面積の割に容積が大きいことが有利なのである。その意味で大型硬式飛行船こそが飛行船技術の頂点に位置するのだが、ヒンデンブルク号が終焉を迎えて半世紀以上、特にスピード最優先の20世紀的な時代思潮の中で大型硬式飛行船は忘却の彼方に置かれてきたのであった。

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