| ツェッペリン伯号飛来80周年記念クルーズ/Graf-Zeppelin 80th Anniversary Cruise |
今から80年前の昭和4(1929)年、ドイツの誇る超大型硬式飛行船ツェッペリン伯号が世界一周の途上来日しました。
ドイツからシベリア、樺太を経て北海道に達したツェッペリン伯号は、太平洋側を南下し格納庫のあった霞ケ浦に姿を現しました。いったん霞ケ浦を通過したツェッペリン伯号は東京、さらに横浜まで飛行。地上では人々が一目見ようと我先に屋根に上り、君はツェッペリンを見たか!というフレーズが流行したそうです。
その来日80周年を記念し、日本飛行船では、2009年8月19日、当時の航路の一部を再現した記念クルーズを開催しました。
船内では飛行船史研究の第一人者である中央大学講師・天沼春樹先生が同乗し船上講義がおこなわれ、ツェッペリン伯号の機内食を担当した帝国ホテルからは、その当時、巷で流行した「ツェッペリン焼き」を再現(80年前に使われていた現物の焼き型を用い、帝国ホテルのシェフに現代の味にアレンジ)していただきました。
以下、当日に講師兼ガイドとして同乗していただいた中央大学講師・天沼春樹先生による乗船レポートを掲載させていただきます。
どうぞ、80年の時間旅行を、お楽しみください。
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1929年(昭和4年)夏、8月19日。その日、東京地方は午前中は曇り空で、どんよりしていたが、午後に入り3時を過ぎる頃より日が射しはじめ、やがて明るい夏の光がおどりはじめたという。やがて、東京中のサイレンが鳴りはじめる。人びとは高いビルの屋上や屋根によじのぼって空をみあげていた。
「見えたぞ!」 誰か知らぬが興奮して我を忘れて叫んでいる。その指さす空に、これまで誰一人見たことのない巨大な飛行物体が夏の日をうけて輝きながらゆっくり近づいて来た。
ドイツ硬式飛行船、ツェッペリン伯号Graf Zeppelinの雄姿に東京市の市民はみなポカンと口をあけてみとれていた。全長236.6メートル。東京駅のホームより長大な飛行船である。ドイツはフリードリヒスハーフェンを飛び立ち、ユーラシア大陸を東へ、シベリアを越えて長駆11,OOOキロメートルを飛行しての日本寄港であった。「君はツェッペリンを見たか!」人びとは口々にそういって、その興奮をわかちあったという。
それからちょうど80年後の平成21年8月19日、私はツェッペリン伯号の直系の子孫たるドイツハイテク飛行船、ツェッペリンNTに搭乗して、あの夏の日と同じ飛行コースをたどって東京上空にさしかかっていた。天候はあの日に似て雲が薄く全天を覆っていたが、その雲をつらぬく夏の光が明るく降り注いでいる。
あの日の飛行コースを再現して「ツェッペリン伯号飛来80周年記念クルーズ」をツェッペリンNTで飛ぼう!(株)日本飛行船の発案に、飛行船博士を自認する私に否やはなかった。再現フライトの船内で、飛行船講義を一席、いやフライトをナビゲートするつもりで勇躍乗り込んだ次第だった。
8月19日の記念フライトには、日本飛行船のご好意で、ツェッペリン伯号ゆかりの方も招かれていた。伯号には飛行船の調査研究の任を帯びて、陸海軍より士官が同乗していたことは知られている。ドイツから日本への飛行には藤吉直四郎海軍少佐が、日本からアメリカコースには草鹿龍之介海軍少佐と柴田信一陸軍少佐である。以後80年、御本人がたは泉下の人ではあるが、そのご子息はご健在で、その父上から当時の話を聞いておられる。今回、このイベントに際して、二組の御子孫とのご連絡がとれていた。まず、藤吉少佐の次女、藤原和子様、四女の三坂孝子様のお二人。この御婦人お二人には、まず試験飛行の際に御搭乗いただいた。霞ヶ浦から東京、横浜上空はかつて父上が故国の空として飛んだコースである。「父の供養にもなるかと思います」と、当時聞かされた話を思い出しながら東京の空を満喫された。
そして、本番8月19日の記念日には、日本からアメリカの太平洋コースに搭乗した柴田少佐の御子息、次男の柴田嘉久氏御夫婦がツェッペリンNTに乗り込んでのフライトとあいなった。柴田氏は、なんと父上の遺品である太平洋コースの手書きの航路図を持参され、船内での御披露とあいなった。ツェッペリン伯号がいわゆる大圏コースよりも南の進路をとり、何時にどの緯度経度を通過し、またその時の気象データなども細かく書き込まれていた。
8O年前のこの日、ツェ伯号はシベリアを越え、ヤクーツクからスタノボイ山脈の端をぬけてオホーツク海に達し、サハリ沿岸を南下し、北海道西岸より太平洋へ転舵して三陸沖を南下の途上、金華山沖で出迎えの日本の東京朝日新聞社の取材飛行機と遭遇している。これより一端は霞ヶ浦上空に姿を現し、そのまま常磐線の鉄路に沿って東京市へ表敬飛行にむかう。表敬飛行は東京市を越えて横浜港上空におよび、横浜でターンして夕刻6時半に霞ヶ浦、阿見に着陸し、かねて待ち受けていたドイツより第一次大戦の戦利品として受け取っていた大格納庫(土浦では押収格納庫と呼ばれていた)に巨躯を休めたのだった。
2009年8月19日の記念クルーズは、日本の上空に姿を現した霞ヶ浦を起点として、東京から横浜にいたる表敬コースを再現することになった。現在の基地の埼玉県桶川市のホンダ飛行場からは飛び立つと約3時間半のロングクルーズとなる。
フライト・スケジュールは同日同時刻とはまいらない。80年の歳月を経て、夏の気象状況も変わっている。夕刻は不安定な気流になる可能性も考慮し、気象の安定している午前10時30分離陸と決まった。吉岡秀樹機長により予定時刻どおり桶川を出発することになった。
10時30分離陸。ここで欲をいえば、ツェッペリン行進曲のマーチが欲しいところである。海上自衛隊東京音楽隊の演奏する『ツェッペリン伯』は始終聴いているので、頭の中で響かせることにした。
グラウンド・クルーに見送られ、記念クルーズ一行は一路霞が浦をめざして、埼玉を横切り茨城へとむかっていく。ここで博士(私)が一席をぶつ。「これから私たちは霞ヶ浦まで約1時間の飛行をするわけでありますが、これはいわば80年の時間をさかのぼる時間旅行であります。眼下にひろがる田園地帯を眺めつつ、思いを昭和4年8月19日にはせたいと思います。当日、天気は曇りより晴れ、気温は・・・・。」と、その時そこにいたような演説を船内でぶつことなった。乗客には迷惑であったかも知れない。いや、もう当時へのタイムスリップは始まっていたのだった。
「その年5月、映画『東京行進曲』(溝口健二監督)が封切られ、秋9月には『大学は出たけれど』(小津安二郎監督)が話題にもなり、10月には世界恐慌のひきがねになったブラックサースデーの株価大暴落が起きています。なにやら、80年後の私たちの世相にも似たようなところが感じられます(ちょっと強引)」
「昭和4年といえば、この年生まれた人にオードリー・ヘップバーン、キング牧師、アンネ・フランク、若山富三郎、向田邦子などがおります(ちゃんと調べてきた)」
ここで、すこしどよめきが起きる。昭和4年と現代にいたる時の流れがつながってくるみごとな演出ではあった。「みんな生きていれば80歳なのであります」
桶川市、蓮田市、板東市、常総市、つくば市上空を越え、いよいよ眼下に霞ヶ浦の青い水面が見えはじめた。ここで、霞ヶ浦の湖としての形状と、ツェッペリンの故郷フリードリヒスハーフェンのあるボーデン湖の形状が双子のごとくよく似ているとの蘊蓄を披露するが、いまひとつであった。すでに、本コースのスタート地点にさしかかっているので、余計なことではあった。
イオン土浦や国民宿舎水郷などを眼下におさめながら、いよいよ阿見、押収格納庫跡上空にさしかかる。陸上自衛隊朝日分屯地を右手に阿見第二小学校上空から、ツェッペリン伯号記念碑をさがす。上空から当時236.6メートルの巨大飛行船がすっぽり入った格納庫の大きさがいかばかりであったか想定してみて、あらためてそのスケールを実感したのであった。「なにしろこれから東京で目にする六本木ヒルズが地上240メートルですかね」と、また調べたばかりのスケールを披露する。誰も聴いていない。みな、食い入るように地上に眼をこらしておられた。
霞ヶ浦をあとにし、ツェッペリンNTはJR常磐線に沿ってはや牛久に達していた。余談ながら、この日、博士は一度だけ度肝をぬかれたものがあった。左前方から2キロメートルはかなたにあるのであろうが、すこし靄ったなかにひときわ黒々とした異様に大きな人影が現れたのだ。ダイダラボッチか? リオデジャネイロの山上のキリストか? はたまたエヴァンゲリオンの使徒か? いや、それこそが「牛久大仏」のお姿なのであった。できたら、全高120メトールという立像の周囲をぐるりと飛行してみたかったが、今回の趣旨に反するので黙っていた。80年前にはなかった光景のひとつである。もしも、あったらツェッペリン伯号の乗客もさぞや度肝をぬかれたことだろう。近い将来、霞ヶ浦周辺クルーズが企画されたら、是非、「牛久大仏」空中参観ルートを提案したい。大仏様の真上にいくような失礼なことはしないから。
本船は牛久から取手、我孫子という常磐線ルートを信号待ちもなく飛んで行く。ツェッペリン伯号の乗員乗客が東京への移動で夜の常磐線に乗っていて、車中で大喧嘩をしている日本の客を見てびっくりしたというエピソードを思い出して披露する。常磐線の各停での伝統は今も守られているような気がしないでもない。
かくするうち、柏市、新松戸、水元公園から綾瀬へと順調に飛行し、いよいよ千住である。鉄橋の西側、千住大橋上空を飛んで新ツェッペリンは都内にはいっていった。見る間に、三ノ輪、三河島、右に日暮里、左に入谷の鬼子母神である。上野公園、上野広小路からまっすぐに、不忍池も小さな水たまりか、今は蓮の生い茂る緑の池と映っていく。眼下に東京帝国大学(東大)安田講堂などをちらりと眺め、80年まえにビルの窓という窓、屋上という屋上から東京市民が見上げていた東京駅周辺、松屋、高島屋の百貨店も懐かしく、ここからはいずまいをただし、右手眼下に皇居の森をかすめてしずしずと進んでいった。その日、昭和天皇は在位4年、おりしもこれから那須に保養にむかう予定であったが、ツェッペリンの来るのをまちわびて、なかなか出発なさらなかったと伝え聞いている。東京駅上空に巨船が現れたのを御覧になり「あ、見えるね」と、一声おっしゃって、ようやく出発されたともいわれている。あとで聞いて驚いたことに、あるいはその道では当然のことかもしれないが、80年前にツェッペリン伯号が飛行したのと同じコースで飛んでくるツェッペリンNTを、当時記録されて残っている写真と同じ位置で待ち構えていたカメラマンがいた。当時はライカのコンパクトカメラが出たばかり、大方は大判な写真機を構えていたことであったろうが、今はデジカメ一眼レフ、あるいは出来心の写メの時代となっている。写真、カメラの変遷の80年にも思いをいたすところである。
さて、あっというまに、日比谷、内幸町を越え、御成門、大門と、江戸のなごりの堀りの外へ飛びすぎていくわがNTではあった。芝公園、三田、区立御田小学校からやや右手にコースをとり、東海道本線に沿っていく。左に鶴見市場、右には良い子のエンゼル、森永製菓が見える。花月園競輪場で本日のレースを気にすることもなく、大口、東白楽とすでに右手は横浜の海である。当時の横浜上空を飛行するツェッペリン伯号の写真を手にしていたが、昭和初期の埠頭とはくらべようもなく、ビルまたビルのむこうに埋め立てられ拡張された現代横浜、そして「みなとみらい」のパノラマが広がっている。パノラマはすぐにまたジオラマのごとくに観察される。陸側から港のみえる丘公園をターニングポイントに、海側に出て大型客船の停泊する「みなとみらい」を一周する。帆船「日本丸」も見える。「よこはまコスモワールド」では、大きなクモのロボットのアトラクションがゆっくりと動いていくさまが見える。
海が見えたところで、柴田嘉久氏が満を持したようにこんなエピソードを語ってくれた。「父にとってはツェッペリンでアメリカへ行くというのは晴天の霹靂のようであったといいます。実は、歓迎レセプションかなにかの席上で、そばにいたエッケナー船長が《おい、陸海軍の軍人さんをもう一人ずつ乗せていってやろう》と、急に言いだして決まったといっておりました」
フーゴ・エッケナーという人は、そういう豪快で、フランクな人であったので、さもありなんというエピソードではある。初めて知った話だった。そこで、嘉久氏が携えていた父上、柴田信一少佐の写真を氏の膝のうえに抱えていただき、記念の撮影をした次第である。
かくして、霞ヶ浦から横浜までが、80年まえのツェッペリン伯号の飛行コースをなぞった航路であった。伯号は再び霞ヶ浦に引き返して、夕刻6時半に着陸したわけであるが、帰路は一路桶川基地へ通常の東京遊覧コースをもどっていった。途中、同乗していた立川氏御夫婦のお住まいの上空近くを飛行したさいに、立川氏の案内する指の先に、またしても黒い大きな影が現れた。今度は胡座をかいて座っておられる。板橋区赤塚の乗蓮寺の東京大仏であった。全高さ12.5メートルだそうである。
空を飛んでいると、どうしても巨大な物に眼がいってしまう。昔、「大きいことはいいことだ!」というCMソングがあったが、気宇壮大という言葉もあり、私は大きいものが大好きなのである。ツェッペリン飛行船もそうであったが、それを格納する巨大格納庫もしかりである。現在、アメリカでツェッペリンNTを就航させたエアシップ・べンチャー社が使用しているサンフランシスコ近郊のモフェット・フィールドにある元米海軍の大格納庫は全高60メートル、全長約300メートルである。アメリカ海軍が就航させていたメイコン号(全長239メートル)がすっぽり入ってあまりあるスケールなのだ。
重厚長大という言葉が悪い物の見本のように使われた時期があったが、飛行船は軽量で、長大なほどその特質が発揮されることを強く言いたい私である。すこし興奮気味である。
そんなことを考えながら80年間の時の流れをもどって来たわけであるが、昭和初期のモダン東京と温暖化でヒートアイランドとなっている東京。世界恐慌とリーマンシヨックにあえいでいる世界経済。ふたつの間を流れている歴史を顧みて、思いをいたすことは多かった。その両方にツェッペリン飛行船は飛んでいた。いや、80年後の現在は、まだ新しいツェッペリンの出発点だ。
桶川基地にむかって着陸態勢に入ったNTの座席にすわってぼんやりしていると、ツェッペリンNTが何隻も日本中の地方空港をつないで飛び回り、格納庫を出入りする未来の映像が浮んできた。神の啓示か? いや、ビジョンではツェッペリンNTよりもっと大型だぞ! と、つぶやく。着陸し、タラップに降り立ったとき、突然、携帯電話が鳴った。未来からの指令か?
「もしもし、無事フライト終わりましたか? 乗客のみなさんはご満足のようでしたか?」
御高齢のお客さんを気づかう渡邊裕之社長の声だった。
天沼 春樹(あまぬまはるき) 1953年埼玉県川越市生まれ。中央大学大学院博士課程修了。中央大学文学部兼任講師。日本ツェッペリン協会会長、市民団体飛行船サポーターズクラブ代表、株式会社日本飛行船顧問。ドイツ文学者、中央大学講師、日本グリム協会副会長、日本児童文芸家協会理事。主な著書に『飛行船ものがたり』(NTT出版)、『夢みる飛行船〜イカロスからツェッペリンまで〜』(時事通信社)などがあり、小説『水に棲む猫』(パロル舎)で第21回日本児童文芸家協会賞を受賞。ドイツのSF小説『ペリーローダンシリーズ』(早川書房)の訳者でもあり、『ラプンツェル』(パロル舎)、『いつかこの闇をぬけて』(ほるぷ出版)など多数の訳書がある。 |
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| ツェッペリン伯号飛来80周年記念クルーズ(所要時間:約210分) |
[最少催行人員5名/1フライト] |
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| ◆開催日時 |
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2009年8月19日(水) |
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| ◆運航ルート |
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桶川〜霞ケ浦〜東京〜横浜〜桶川 |
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| ◆所要時間 |
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約3時間30分(10時30分離陸〜14時00分着陸予定) |
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◆ご搭乗料金
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270,000円(大人・小児同額/税込)
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◆乗船特典
★天沼春樹先生(中央大学講師・ドイツ文学)による船上講義
★プレゼント(1)幻のツェッペリン焼きを再現(帝国ホテル)
★プレゼント(2)ツェッペリンNT国内未発売1/200モデル【ドイツHerpa社製】 |
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